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大阪地方裁判所 昭和31年(行)33号 判決

原告 一ノ瀬バルプ株式会社

被告 大阪国税局長

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、「被告が原告に対し昭和三二年二月六日付でなした源泉徴収所得税徴収決定に対する原告の審査請求を棄却する旨の決定はこれを取消す、訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求原因として、

(一)、原告は、原告工場で使用する労働者と労働契約を締結するに際し、労働条件として、労働者の通勤費の実費を原告が負担することと定め、これにもとづいて、労働者に毎月通勤用定期乗車券(以下通勤定期券という)またはその購入代金相当額の金銭を交付していたところ、西税務署長は昭和三〇年二月一七日付で昭和二八年一月から同二九年一二月までの間一人につき月額金五〇〇円を超える金額の合計金六三、二一〇円に対する追徴所得税を金一〇、四一三円とする旨の別紙記載のような源泉徴収所得税の徴収決定をなし、これに対する原告の再調査請求に対し昭和三〇年五月二五日請求を棄却し、同年一〇月一九日その旨原告に通知したので、さらに原告は翌月一八日被告に対し審査請求したところ、被告は同三二年二月六日付でこれを棄却する決定をなし、その旨を翌日原告に通知した。

(二)、しかしながら、使用者が職場において、労働者から商品たる労働力を買つた場合には、その労働者の通勤費は労働者の負担となるが、本件のように使用者が労働者の現住地において商品たる労働力を買つた場合には、その労働者の通勤費は使用者の負担となるのであつて、それはあたかも、普通の商品の買主が遠方で買つた商品を引取るための費用を負担するのと本質は少しも違わないのである。換言すれば、原告が労働契約を締結するに際し、労働条件として、労働者の通勤費の実費を負担することと定め、それにもとづいて支出した費用は使用者の求める労働実現のための条件的支出(必要的経費)であつて、労働そのものの対価としての給与的支出ではない。また、原告が支出した通勤費は輸送機関の所得にこそなれ、労働者の所得にはならず、したがつて、労働者に課せられるべき所得税はないのである。しかるに、被告は原告の支出した通勤費を労働者の給与所得なりとの見解の下に本件審査決定をなしたのであつて、右決定は違法であるから、その取消を求めるため本訴請求に及んだ

と述べた。(証拠省略)

被告は、主文同旨の判決を求め、答弁として、

(一)  原告主張の(一)の事実はすべて認める。

(二)  被告のした本件審査決定は以下に述べるように何ら違法な点はない。

一般に労働者の受ける給与とは、雇用関係にもとづいて労働者が使用者から受ける経済上の利益全般をいうのである。元来給与は労務の対価であるとされているが、給与体係が生活給、職務給などの考え方から、いわゆる基本給のほかに扶養手当、物価手当、時間外手当、住宅手当、通勤手当、期末手当、越年手当、退職手当等極めて雑多なもので構成されている今日、個々の手当と労務との関聯性は極めて広く解せられ、むしろ雇用関係にもとづいて、労働者が使用者から受ける金品等はすべて労働の対価であり、したがつて給与であるとするのが通説である。

所得税法(以下法と略称する)第九条第五号はこのような給与について給与所得の源泉として課税標準を算定すべきことを定めている。

そして、法第一〇条第一項は第九条第五号(給与所得)に規定する収入金額は、その収入すべき金額(金銭以外の物または権利を以て収入すべき場合においては、当該物または権利の価額に同じ)による旨規定し、また、法施行規則第九条の二は給与所得の全部または一部を金銭以外の物または権利で収入すべき場合における法第九条第五号に規定する収入金額の計算については、当該物または権利の収入の時における価額による旨明定している。

したがつて名目の如何を問わず、使用者が労働者に対して支給した物もまたその全部を給与の一部として換価加算せらるべきことは、右法条に照らして明らかなところであるが、国税庁では行政運営上些細なものにまでかかる規定を適用することの煩を避け、便宜通達により少額のものに対しては課税しない取扱をしている。すなわち、通勤費についていえば、当分のうち、通勤費の名目により金銭で支給する場合においては、その金額の多少にかかわらずすべて課税するが、通勤定期券そのものを交付する場合は、その金額が月額(当該定期券の通用期間が一箇月を超えるものであるときはその月割額)五〇〇円までの部分については課税しないものとするとしているのである。

本件においては、原告は通勤定期券を一括購入して支給している場合もあり、然らざる場合もあつたが、現金で支給したものについては原告において労働者が購入した通勤定期券を一々確認しているとのことであつたので、特に全部を通勤定期券によつて支給しているものとして計算したのである。

原告は労働契約により使用者が労働者に支給した通勤費は、商品の売買における運賃に類するものと速断しているが、通勤費は労働者が働くための必要的経費でこそあれ、使用者側からは必要的経費ということはできない性質のものである。換言すれば、元来、使用者がこの種の経費を負担するいわれは理論上成り立たないのであるが、労働者の労働条件の比較的悪いわが国において低賃金を補う一方法として慣行されている現象にすぎない。

右の如く通勤費は、被服費等の諸経費とともに給与所得者自身の必要経費的な性格を有するものであるが、これら給与所得者の必要経費については一定せず、かつ、その労働と経費との関聯性の限界を明らかになしえないものであるから、法は特に勤労控除(給与所得控除)の制度を設けているのである。

また原告は、労働者の通勤費は輸送機関に支払われているのであるから、労働者の所得にならないと主張するが、被告は輸送機関に通勤費が支払われた事実をとらえて労働者に給与所得があるとしたのではなく、労働者が、原告との雇用関係にもとづいて、原告から通勤定期券またはそれを購入すべき金銭の支給を受けた事実をとらえて、その労働者に給与所得があるとしたのである。

以上のとおり西税務署長がなした強制徴収処分には何ら違法な点がなく、本件審査決定は適法であるから、その取消を求める原告の本訴請求は失当であると述べた。

(証拠省略)

理由

原告主張の(一)の事実は当事者間に争がない。

よつて本件唯一の争点である使用者が労働条件として労働者の通勤費の実費を使用者において負担することと定めた労働契約にもとづき、労働者に交付する通勤定期券またはその購入代金相当額の金銭が、所得税法上にいわゆる給与所得となるか否かについて判断する。昭和二九年法律第五二号による改正前の法第九条第一項第五号(本件昭和二八年分所得につき)及び昭和三二年法律第二七号による改正前の法第九条第五号(本件昭和二九年分所得につき)には給与所得として、労務の提供に対する反対給付たる「俸給、給料、賃金」をはじめ、「歳費、年金、恩給、賞与」の諸収入形態を列挙した上、「これらの性質を有する給与」をも包括的にその課税対象とする旨定めているから、労務それ自体の対価として、提供された労務に相応する給付のみが、前規定に定める給与所得なりとは解し難く、労務の提供に関連して受くべき給付も、給付の性格等を検討して、それが労務の対価に準じて評価せらるべき場合には、これを俸給、給料、賃金と同一の性質を有する給与として、前記規定の給与所得に包含せられるものと解すべきである。

ところで本件通勤費は、労働条件として使用者たる原告がこれを負担することと定めた労働契約にもとづき、毎月労働者に交付せられる通勤定期券若くはその購入代金相当額の金銭であつて、労務そのものの対価として供与された事情はこれを認むべき証拠がないけれども、右給付は労務の提供を前提とし、これと密接に関連し、いわゆる労働条件としての内容を有して、労働契約により使用者に規則的に請求しうべき労働者の権利たる性格をもつものであるから、まさに労務の等価関係においてこれに準じて評価せらるべき給付というべく、したがつて右通勤費は労働者の取得する俸給、給料、賃金と同一の性質を有する給与として前記規定にいわゆる給与所得に該当するものとみるべきである。

原告は、原告が支出した通勤費は輸送機関の所得にこそなれ、労働者の所得にはならないと主張するけれども、労働力の売主たる労働者は使用者の指示する職場においてのみ労働力を提供し、これを商品化し得るものであるから、使用者の指示した職場が労働者の居住する場所と異る場合に、労働者が自己の居住する場所から職場に赴く費用は、本来労働者が負担すべきものであつて、使用者の支出した通勤費が結局乗客輸送業者に支払われ、労働者の手中に残らないとしても、労働者としてはこれによつて自己の負担すべかりし経費の支出を免れ、これと同額の財産的利益を受けたこととなるのであるから、労働者に所得なしということはできない。

したがつて原告が労働者に交付した通勤定期券は、法第一〇条第一項、施行規則第九条の二により、その交付当時における価額によつて換算し、その換算金額全額から、また原告が労働者に交付した通勤定期券購入に必要な実費は、その全額から各所得控除の相応分を差引いた額について課税されるべきものであるけれども、政府は徴税の煩を避けるため便宜、本件各課税年分につき、通勤定期券を交付した場合には、換算額月額(当該定期券の通用期間が一箇月を超えるものであるときはその月割額)五〇〇円までの分については課税の取扱をせず、かつ通勤定期券を交付しない場合でも、使用者が労働者の購入した通勤定期券の呈示を受け、その内容等を確認した上で、当該通勤定期券の価額相当額の金銭を交付する場合は、通勤定期券交付の場合に準ずるものとしているのに過ぎない(成立争のない乙第二号証の一ないし三)。そして原告が労働者に通勤定期券購入に必要な実費を交付している場合が、通勤定期券の交付に準ずべき場合に該当することは被告の認めるところである。

そうだとすると西税務署長が原告主張のような強制徴収処分をしたのは適法であつて、これを不当、違法とする原告の審査請求を棄却した被告の審査決定もまた適法であるから、その取消を求める原告の本訴請求は失当に帰し、棄却を免れない。

よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 岩口守夫 山本久己 池尾隆良)

(別紙省略)

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